大学院生の朝

秘書さんが絶句していた話

大学院生として、医局に帰ったのが2000年。今では、駄目なんでしょうけど、1年間、大学院生として大学にお金を払いながら、病棟担当医として臨床に没頭していました。1年間、今や母教室の教授となった先生と病棟係をこなして、いよいよ研究生活が始まったのが6月。

 

キミのテーマは、移植だ、と言われて、しかもウイルスをやれということで、やったことのない電気泳動のゲル作りから始めていました。ブタの血管内皮細胞を培養して、時々コンタミを起こしてひんしゅく買って、的な毎日でした。

 

そんな朝、医局に行くと、当時17インチの巨大な三菱ダイアモンドトロンをくっつけたPower Mac使いの医局の秘書さんが、とんでもない形相で画面を見つめていました。

あまりの雰囲気に、どうしたんですか? と聞くと、先生、と絶句して、指を指した画面には、WTCビルに飛行機が突っ込んでいく写真が載っていました。

 

あれから、20年。当時、ブタの臓器を人に移植するという異種移植をテーマに、慣れない研究生活を送りながら、当直や外来のアルバイトをしながら、なんとか生活していました。そんな不安な気持ちと、映画でも見ているような解像度がそれほど高くない写真は、なんだかシンクロしているような感じでした。

その年の6月に、私が担当していた病棟係をバトンタッチした重村先生が、アメリカから一時帰国していて、病院によってくれました。

 

前回は、松田先生はお休みの日だったのですが、今回は外来をしてくださっていた後で、短時間でしたがお話をすることができました。COVID-19治癒後の肺移植を、すでに10例手がけている話や、アメリカでの移植事情などを松田先生と一緒に聞きながら、あっという間に時間が過ぎました。

 

あれから、20年。あっという間だなぁと思いますし、当時は思いもよらなかった場所で、思いもよらなかった仕事をしています。

20年後。僕は、どうなっているのか。健康には気をつけたいものですね。