思温病院2.0

25年ぶりの「Be Bedside」

人生わからないものです。

平成7年に、とにかく外科医になろうと大阪大学第一外科の門をたたきました。中之島ロイヤルホテルで、卒業式後の懇親会が終わったあと、当時の教授であった松田暉先生が、「来年、うちに来るヤツ、一緒に来い」ということで、福島あたりのお好み焼き屋に行きました。

 

だいぶ、私も飲んでいたのですが、ふと隣を見ると松田先生がいらっしゃいました。いくぶん朦朧としながら、「これから、第一外科の研修でヘロヘロになると思いますが、どんなにヘロヘロになっていても、これだけは忘れるな!ということは何でしょうか」と聞いてみました。

すると、間髪入れず「Be Bedsideや。常に患者とともにあれ。」とおっしゃいました。

それから25年、病院、診療所での医師としての勤務はもとより、縁があって薬局の運営に携わってきた中でも、「Be Bedside」患者とともにあれ、というのは、自分にももちろんですが、薬剤師さんたちにもお話してきました。バイタルサインというのも、その単なるツールにしか過ぎません。

研修医時代、文字通りヘロヘロになりましたが、受け持ち患者さんの術後などでICUで泊まり込んでいると、朝一番に颯爽と入ってこられ、「どうや」と話を振っていただき、直立不動で昨晩の経過、今日の予定などを報告したことや、教授回診でも要領の得ない説明をしていると「サマリー!」と一言おっしゃって患者さんの部屋に入って行かれるのを見送ったことなど、それからの医師人生の基盤になることをたたき込んでいただきました。

また、大学院に帰って学位をいただくときにも、副査を担当してただきました。ブタの臓器をヒトに植えるという異種移植がテーマであり、ドナー不足の解消に向けた取り組みの一環であったわけですが、公聴会の最後に「エシカル(倫理的)なテーマでもあるな」とおっしゃっていただいことなど、今でも鮮明に思い出します。

 

 私が、色々と考えることがあって、第一外科の人事を離れることになったときにも、松田先生には色々と慰留していただきました。それを振り切ってしまったので、ご縁は切れてしまったかなと思っていたのですが、その後、学長になられた兵庫医療大学の件でお手伝いしたことをきっかけに、日本在宅薬学会での顧問を御願いするなど、色々とご指導をいただくようになっていました。

 それが、人生とはわからないもので、本日から、私が5年来、取り組んできた思温病院に特別顧問としてお越しいただくことになりました。当院の現状や課題をご説明しご理解をいただいた上で、次のステージに進んでいくために、また、新たなお立場でご指導をいただきたいと思います。

 

 本日朝に、医局で朝礼をしたときに少しご挨拶いただきましたところ、今までのキャリアは忘れて、一医師として「Be Bedside」でがんばりたいとおっしゃいました。25年ぶりに聞いたBe Bedsideでした。

 

 早速病棟にお越しになり、当院竹内副院長(第一外科の同門)とお話されていたので、写真を撮らせていただきました。


改めて、その言葉を胸にがんばりたいと思います。

皆様、引き続き、よろしくお願いします。