いただきものの桃

三四郎と水蜜桃

この季節、本当にありがたいことに、普段は口にできないようなものをいただく機会が増えます。本当にありがとうございます。スーパーでは絶対に自分で買えないよなというような高級フルーツをいただくこともあります。

 

昨日も、事務所に帰ったら、桃をいただいていました。いつも、お世話になっているのに恐縮です。

一人ではもちろん、全部食べきれないですし、フレッシュな間にいただいた方がよいので、みんなでお裾分けしていただくのですが、今日ふと思いついて、一個だけ病院に持ってきました。

 

とはいえ、病院ではナイフもなければ、お皿もない。さて、どうして食べようかと思ったときに、ふと思い出したのが、夏目漱石の三四郎に出てきた水蜜桃の話です。

 

今の小中学生がどうかはよく知らないのですが、僕らのときには、当然読んでおくよな、的な雰囲気が強く、新潮文庫の百冊などにも絶対入っていて、夏休みに読んだ気もします。夏目漱石の吾輩は猫であるはもちろんのこと、こころやそれからなども印象深かったですが、三四郎は、とても面白かったです。

 

美禰子さんが、ストレイシープ…というような場面は、後年、東大の三四郎池の近くに行った時に、なんとなく思い出していました。

 

で、話は変わって、水蜜桃。熊本から東京に向かう汽車の中で、豊橋で乗り込んできたおじさんが、駅で買い求めて、おまえも食え、と三四郎にばりばり食べるながら、好きな話をして、食べ終わると、新聞紙にぐしゃぐしゃっとまとめて車窓から外にぽいっと捨てるわけです。

最後の下りはともかくとして、なんとも印象的なシーンでしたが、それを突然思い出しました。

 

コンビニのレジ袋を広げて、そこにペーパータオルを数枚入れて、コンビニでもらったフォークでぷつぷつと破線を入れるように皮を破り、とっかかりができたところから、指で薄皮をすーっとむきました。

 

桃の白い果実があらわになり、がぶっと。

 

 

おいしー。

 

 

うぐうぐと無言で食べて、また剝いて。無言で食べて、また剝いて。4回ぐらい繰り返すと、桃は大きなタネだけになっていました。

 

果汁にまみれた指で、ペーパータオルをつかんで桃の残骸をぐしゃぐしゃっとまとめて、レジ袋の底に押し込んで、口を結び完了。

 

あぁ、三四郎に桃をくれたおじさんも、きっとこんな感じだったんだろうな、と、思いました。

 

で、気がついたのですが、読んでいた時には、三四郎も年上、美禰子さんもさらに上、広田先生も、豊橋で乗ってきたおじさんにいたっては、もう親以上の年齢だったと思うのですが、今や、広田先生やおじさんといい勝負なんだな、と。

でも、この年になってわかる、桃のおいしさ。色々と考えた昼休みでした。