僕が好きじゃない言葉
今朝起きて、連休の朝ランに行こうと思ったら、雨。
小雨なんだけど、ちょっと待てば止みそうなんだけど…
いつも、思うのは、雨の中を走り出すほどのやる気は無いんだな、ということ。どうでもいいですけどね。
どうでもいいついでに、昨日、ひょんなことから、コンデジっていうんですか?を下取りしました。
iPhoneのカメラで十分だよな、と思ってもうしばらくになりますが、なんか、やっぱり、うきうきしますよね。
そういえば、昔、無理言って買ってもらいました。
α-7000だっけ。望遠レンズかって、オートフォーカスにびっくりしてたなぁ。写ルンです全盛だったから。
それは、さておき。今日は、なんとなく思ってきたことですが、僕が好きじゃない言葉の話です。
言葉に罪はないし、使わなければそれでいいので、あえて言うこともないんですが、ちょっとこのところ色々と考えることもあって…。
その一つが「ずるい」です。
辞書などには「人を出し抜いて自分が得をするような、正しくないやりかた」、とか、「自分の利益のために、ごまかしてうまく立ち回る性質である」といったことが書いています。
でも、最近、僕が時々耳にする「ずるい」というのは、なんか、うらやましいとか、不平等感の裏返しのように使われるケースがあるように思うのは気のせいでしょうか。
SNSの発達が拍車をかけているのかも知れません。
色々なことを表に出してしまうから、多くの方が、匿名性の気軽さも手伝って、なんだか「ずるい」と言います。
「あんなところに行っていて、ずるい」「あんなものを食べていて、ずるい」「あんな…」みたいな感じです。
その結果に至るまでの過程や背景は、抜きにして、自分とは違うものについても、「ずるい」となる感じが、個人的には、ちょっと、もやもやします。なんか、辞書に書いてある本来の意味とは、違った感じになっていますよね。
医療の現場でも、そういったことを感じることがあります。うまく表現できないのですが、医療行為には、その背景に医師の専門的な知識や判断があって、患者さん個々に最適なものを行おうと日々努力をしているのだと思います。
ただ、その表面だけを捉えて、「あの人はしてもらっているのに、私は…」となると、「ずるい」的な感じになってしまいます。
限られた医療資源を、適切に使うためには、全員が全員に同じことを行うことは現実的ではないと思います。
ただ、こういうことは、なかなか説明しにくいし、理解されづらいし…。
だから、色々考えるけど、黙って生きていく、ずるい人間になってしまうのかも知れません。
あれ?