思い出の味

天津飯とかに玉丼

昭和が平成に変わるころ、私は、大阪で浪人生活を送っていました。最後の共通一次試験も終わり、

二次試験に向けて、最後の追い込みといったときに、予備校の自習室に行くのもなんとなくダレてきて

予備校の知り合いに紹介してもらった有料自習室(当時は珍しかったです)に通っていました。

1日500円か600円だったか忘れましたが、阪急宝塚線岡町駅前のビルテナントとして入っていたところに

毎日通っていました。

朝一番に行って、夜8時ぐらいまでだったでしょうか。

時々、小さくて、座り心地が良いとは言えないソファに

腰掛けて休んだりしながら、Z会のやり直しなど、

最後の仕上げをしていたものです。

 

お昼ご飯に、良く行っていたのが、駅の反対側に

あった商店街の外れにある餃子の王将でした。

 

ほぼ、毎日、行っていた気がしますが、途中から

天津飯にはまってしまい、ほぼ毎日、天津飯でした。

考えるのがめんどくさいからなのか、とにかく好きなのか

わかりませんが、来る日も来る日も天津飯でした。

 

朝一から3-4時間、疲れた頭を休めながら、

午後は、物理をやろうとか、英語を読もうとか

考えながら、一人もそもそと食べたのが天津飯でした。

 

ただ、あるときに、これはいかん、と思ったのです。

毎日毎日、天津飯ではいけない。こんなにもメニューが

あるんだから、また、別のモノを頼もうと思った日が

あったのです。

 

それで、壁一面に貼ってあるメニューを眺めながら、えーっと、えっとと考えていました。

餃子は、ニンニクがあるから止めとこう。ラーメンは、味が濃そうだな。ニラレバ定食もちょっと重すぎるし、八宝菜はあっさりしすぎかな、とはいえ、酢豚っていう気分でもないし、唐揚げは太るかな。。。など、見ていたときに、ふっと

目に飛び込んできたメニューがありました。

 

かに玉丼。

 

かに玉丼?おー。かに玉が、丼になっているのか。

 

 

天丼、カツ丼、親子丼、他人丼など、いろんな丼を食べてきたけど、かに玉丼とは。中華は面白いな、と思って、

「かに玉丼、下さい!」と頼みました。

 

かに玉丼、一体、どんな丼なんだろう。楽しみ、わくわく、美味しそう!と、午後からの勉強のことも忘れて

うきうき一人で待っていると、へい、お待ち、と、運ばれてきました。

 

どんなんかなー。かに玉丼、どんなんかなーと思って、見ると、そこにはいつもの、見慣れた、天津飯が、ぽつんと。

 

あれ、天津飯じゃなくて、かに玉丼、頼んだのですが…と、店員さんに聞くと、かに玉丼でしょ?天津飯だよ、と。

 

その瞬間、つながりました。そうだ、天津飯とはかに玉丼だ。あぁ、なんといううっかり!

 

す、すいませんと、恥ずかしさもあっていつもにも増してかき込んで昼ご飯は終わりました。

 

かに玉丼、美味しかったです。だって、天津飯だから。

 

僕って、どんだけ、天津飯好きやねんと突っ込みながら帰りました。

 

時代は、平成から令和に移り…先日、ひょんな事からこの天津飯を頂く機会がありました。サイズも、マイサイズと

称する小さい版。30年ぶりの天津飯、いや、かに玉丼。一気に時代は、30年さかのぼりました。

 

あのとき、一緒に自習室に通った高校の同級生は、第一志望の医学部に行って、今は、開業しています。

 

僕が通った駅は、高架になり、餃子の王将まで通う時に渡った踏切も今はありません。

19歳だった僕は、もうすぐ51歳です。まさか、本当に医者になって、薬局に戻って、薬剤師さんに講演して、

また、医者の仕事も熱心にしてるなんて、思いも寄らないですよね。

 

でも、天津飯は美味しかった。毎日食べるのは、止そうと思うけど、たまには、食べよっかな。かに玉丼。